ADHDといわれる多動性障害や、
注意欠如が子供に見受けられる場合、
もっとも大切にしたいことは、
この障害による不注意から子供自身の身の安全に
危機が及ばないように努めることです。

また、その次に大切なのは、
こういった特徴を持ちながらも、子
供自身が幸せを築いていけるようにしてやることです。

多動性障害や注意欠如が見受けられる場合、
映画を続けて観たり、
音楽会で静かに座ったままで演奏を聴くなどの
長時間に及ぶ受け身の行為は苦手です。

しかし、ADHDに見られるこういった苦手な行動の反面、
ずば抜けたリズム感を持っていたり、
豊かな色彩の感性を備えていたり、
特定の物事への忍耐力に並は外れて優れていたりと、
その長所に注目してやることが非常に大切です。

子供時代に、医師からの診断名が付くADHDの場合以外にも、
周囲の友達と打ち解けられないことや、
言葉の発達が明らかに遅い、
そして、自宅での食事の時間に座っていることが
あまりにも困難であるなど、
医師に掛からない場合でも、
子供の多動性障害や注意欠如の兆候に、
いち早く気づいてやれるのは、親です。

もちろん、学校での授業時間に他のこどもと同じように
椅子に座り続けることがあまりにも困難である場合などには、
学校の先生が気付くケースもありますが、

やはり、親がわが子を観察する愛の眼に適うものはありません。

さて、
日本でのADHAへの認識と関心は、
子供のADHDのみならず、
大人のADHDについてなど、昨今目覚ましく進歩を遂げています。

ADHAの子供を持つ親としては、嬉しいことです。

長きに及びなされてきた養護学校という呼び方は改められ、
今日では特別支援学校とその呼称も変わりました。

時を同じくして、これまでは健常者と言われる子供たちが通う学校への
通学は認められてこなかった長い歴史も改められました。

特別支援学校への通学するのか、
一般校へ通学をするのかも、
本人や親などの家族が相談して、選べる時代が既に日本には到来しています。

子供たちの生涯を通じて、彼女たち、彼らの幸せを考える場合、
その子供本位になってくれる団体や制度、居場所、人間、といった、
本人にとっての、いわば、プラスに働く資源を探し出す努力を惜しんではなりません。

例えば、学校を卒業すると、子供によっては就職ですが、
就職までの期間には通所の作業所へ通わせる場合もあるでしょう。

その作業所のスタッフは、ADHDのプロフェッショナルではありますが、
我が国の多動性障害や注意欠如行動への対応は、
正直なところ、まだまだ夜明けであって、黎明期であるのが、実情です。

多動性障害や注意欠如の子供を押さえつけたり、
強く叱るスタッフもいます。

しかし、同じ状況でも、子供本位のスタッフであれば、
子供と一緒に手を携えて歩き、
脳内に酸素を取り込んでくれる行動を起こしてくれるのです。

福祉分野の人材の数が足りていない日本の現状もありますが、
ADHDを抱える子供にプラスになる、
人的資源を含む社会資源を探し出すことが大事で、
探し出すためには親同士の会での口コミが何より貴重な情報となってくれます。



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